ビキニ水爆 焼津で平和行進

 1954年、ビキニ環礁の水爆実験で焼津港所属の漁船「第五福竜丸」が被ばくしたビキニデーの1日、「死の灰」を浴びて亡くなった久保山愛吉さん(当時40歳)を追悼する平和行進が静岡県焼津市で行われた。実験のあったマーシャル諸島のケネス・ケディ上院議員も参加。福島第1原発事故の現状に「放射能で全島民が避難したロンゲラップ島と同じ。故郷を奪われた人々の悲しみや不安は計り知れない」と核の恐ろしさを訴えた。

【被ばくしたのは第五福竜丸だけではなかった】ビキニ被ばく、忘れられた1000隻の漁船

 水爆実験では約200キロ離れたロンゲラップ島にも死の灰が降り注ぎ、多くの島民が被ばくし、別の島への避難を余儀なくされた。元島民のケディ上院議員によると、米政府は除染が終わったとして帰島を促しているが、59年後の今も島民は「本当に安全かどうか」と不安を抱き一人も帰っていないという。

 行進では約1300人が一輪のバラを手に「核のない世界」をアピール。福島県郡山市から初参加した病院事務職員、小幡拓也さん(29)は「原発事故の後、たとえ放射線の線量が低くても不安は消えない。放射能におびえないで住める世の中にしたい」と話した。

 焼津市によると第五福竜丸の元乗組員は、吉田勝雄さんが2月21日に83歳で亡くなるなど、23人のうち16人が死亡し生存者は7人となっている。【荒木涼子】

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