佐藤浩市 父と呼ばぬまま別れ

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 俳優の三國連太郎(みくに・れんたろう、本名・佐藤政雄)さんの長男で俳優の佐藤浩市(52)が15日、都内でドラマの制作発表に出席し、その後、三國さんの死去についての取材に応じた。亡くなった直後に病院に駆け付け、「この数年の中で一番、凛(りん)とした顔に見えた。威厳がありました」と語った。両親が離婚、母に育てられたことなどから父とは確執があり、「僕と彼の間に介在したのは『役者』という言葉だけ。父親としては語れない」と複雑な表情も見せた。



 主演ドラマの制作発表を気丈にこなした佐藤は、その後、父についての取材に応じた。前日に他界したことを報告し、「本人の遺志で『戒名はいらない』『誰にも知らせるな』『密葬で』『散骨して』というのがあって、できれば骨になるまで話をするのは避けたいと思っていました」と説明した。

 自宅にいたため死に目には会えず、亡くなってから約1時間後、遺体と対面した。「三國も90歳ですし、いつかこういう知らせが来るだろうと覚悟していた」。時折、目を潤ませながら「こういう言い方は変かもしれないが、悲しいという思いはなかった。この数年の中で、一番、凛とした顔に見えた。威厳があって不思議な感慨がありました。涙は出ませんでした」と振り返った。

 父と最後に会ったのは今月1日。映画「人類資金」(阪本順治監督、10月公開予定)の撮影のため、米ニューヨークに行く前、病院に顔を出したそうだ。「いつも薬でもうろうとしているんだけど、その時はしっかりしていて、言葉を交わした。『外に散歩に行ったら寒い』というような、たわいもない会話でした」。「三國連太郎のまま逝く」と以前から話していたそうで、「『役者として生きたんだな』と思いました」としみじみと話した。

 だが、話題が親子関係に及ぶと表情が一変した。「どんな親? ひどいよ、そりゃ」。小学5年の時に両親が離婚し、母に引き取られたことなどもあり、父とは確執があった。映画「美味しんぼ」(96年4月公開)で親子共演を果たしたが、製作発表の場では互いを「三國さん」「佐藤くん」と他人のように呼び合った。同年3月の日本アカデミー賞では、前年に最優秀主演男優賞を獲得した佐藤が、この年の同賞に輝いた三國にトロフィーを手渡して話題を呼んだ。

 晩年はCMや映画「大鹿村騒動記」(11年公開)で共演。三國さんの身の回りの世話も、息子としてしっかりと見ていた佐藤だが、「僕と彼の間に介在したのは『役者』という言葉だけ。『単純に父親像として分かるように説明してくれ』と言われても、語れません」とも。「褒められたこともないし、否定もない。後で聞くと、気になるもの(作品)は見ていたらしい。呼び名? 彼は『お前』と呼んでいたし、僕は『あなた』と呼んでいました」。父というよりも、俳優としての大先輩を悼む口ぶりだった。


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