移籍の李忠成 代表復帰へ意欲

 15日、サウサンプトンからFC東京に6月30日までの期限付き移籍が決まったFW李忠成がイギリスから帰国。宮崎・都城でキャンプを行なっているFC東京に合流するために乗り継ぎで訪れた羽田空港で記者の囲み取材に応じた。

 新天地FC東京では、「1試合で1得点以上を決めるような気持ちで臨む」と意気込みを語り、日本代表については「もう一度、青いユニフォームを着て得点を決めたい」と代表復帰の意欲を見せた。

――久しぶりにJリーグに帰ってきたという気持ちはありますか?
「半年間の期限付き移籍ですが、移籍を決断したからには結果にこだわっていきたいと思います」

――サウサンプトンのチームメート、吉田麻也選手とはどんな話をしましたか?
「麻也とはたくさん話して、いろいろと相談にのってもらいました。移籍について悩みましたが、最後は自分で決断しました」

――契約期間の半年での目標は?
「先発で出たときは、1試合で1得点以上を決める気持ちで臨みますし、出場したからには絶対に勝ちたい。そうでなければ、選手として試合に出場する意味がないと思うので。そういった強い気持ちを持って帰ってきました」

――試合に出場するというのが最も重要なことですか?
「試合に出場するだけでなく、良いパフォーマンスを見せなくてはいけませんし、結果が大事だと思います。パフォーマンスが良ければ、結果もついてくると思います」

――FC東京はかつて所属していたチームですが。
「中学3年生に加入し、プロデビューしたチームでもあります。すごくお世話になったチームです。小平でも練習していて実家も近いので、すぐにフィットできると思います。近年、FC東京はすごく良いサッカーをしているという点に魅力を感じたのも移籍を決断した理由の一つです。チームの中で、自分がどういったプレーができるのか楽しみです」

――日本代表に懸ける思いは?
「もう一度、青いユニフォームを着て得点を決めたいです」

――イングランドで得たものは?
「試合に出場できないときの辛さは、なかなか経験できないものだと思いますし、自分のキャリアにプラスになることだと思って生活してきました。サウサンプトンは高いレベルのチームなので、日本では学べないことがたくさんありました。選手としても人としても、間違いなく成長したと思います」

――移籍を決断するまでに時間がかかった理由は?
「プレミアリーグは誰もが経験できる舞台ではないですし、チームに加入することさえ、難しいことだと思います。イングランドを離れ、出場機会だけを求めて日本でプレーすることが良いのか、悩みました。それでも、試合に出場したいという気持ちが強かったですし、日本代表を捨てられない自分がいました。FC東京が自分のことを見てくれたというのもありますし、日本で勝負することを決めました」

――半年間の期限付き移籍ですが、その後は?
「半年後に分かることだと思います。自分がどこまでプレーできたのか、自分がどこまで評価されたのか、自分の立ち位置によって大きく変わると思います。移籍したからには結果を残して、FC東京に残留、サウサンプトンに復帰、違うチームへの移籍など、選択肢を増やせるように努力したいです」

――希望のポジションは?
「やはり、センターフォワードですね。広島時代にやっていたトップ下もオプションとしてありますが、やはりセンターフォワードで出場したいですね」

 李は15日にチームに合流。コンディション次第で17日の蔚山との練習試合で出場する。

中山雅史がJに残したもの

 昨年の夏、試合に敗れた悔しさに打ちひしがれるロッカールームで、中山雅史は珍しく声を荒げた。

「気持ちを見せろ!」

 2013シーズンもキャプテンの腕章を巻くコンサドーレ札幌の河合竜二は、半年前の光景を今でもよく覚えている。

「中山さんが珍しく、気持ちを見せろってものすごく怒って。その言葉の重みはすごく感じましたね。やっぱり、全然違いましたよ。自分が言うのと中山さんが言うのとでは。もちろん自分の心にも響きましたし、チームにとって、あの言葉はものすごく大きかったと思います」

 それでも、若手中心のチームは容易には勝てなかった。目標とするJ1残留を果たすことはできなかった。しかし河合は、チームに芽生えた確かな変化を感じていた。それは紛れもなく、中山のあの日のひとことをきっかけとしていた。

「気持ち。それだけでそんなに変わるのかって思うくらいに変わりました。中山さんの『練習からやるしかない』という言葉で、それ以降の選手たちの取り組み方が全く違いましたから」

■19歳から54歳まで……中山から影響を受けた多くのサッカー人たち。

 NumberPLUS「中山雅史と日本サッカーの20年」の取材のため、計7人の“関係者”に話を聞く機会に恵まれた。

 中山雅史の全盛期、すなわち黄金時代のジュビロ磐田については、藤田俊哉と名波浩、福西崇史の3人。キャリアの終着点となったコンサドーレ札幌については昨季まで監督を務めた石崎信弘とキャプテンの河合竜二、トレーナーの中村祐ニ、それから、引退会見で「一番印象に残っているシーン」として名前を挙げられた榊翔太の4人である。

 中山との関わり方は、もちろんそれぞれに異なる。

 日本リーグ時代にDFとして中山との対戦経験がある最年長の石崎は、現在54歳。2012年にトップ昇格を果たしたばかりの最年少の榊は19歳であるから、中山がいかに多く、いかに幅広い年齢層の選手と同じピッチでボールを追い掛けてきたかが分かる。

 しかし彼らは、中山雅史というサッカー選手に対する認識として共通の言葉を並べた。そこから浮き彫りになるブレない実像は、大きく分けて2つ。1つは、抜群の得点能力が特にパスを引き出す動きの質の高さに起因すること。そしてもう1つは、チームという組織を形成する上で彼が果たした役割の大きさだった。

 中山は、技術的な達者ではないがゴールを量産できる。本質的にキャプテンシーを持ち合わせているわけではないが、なぜかいつもチームのリーダーとして先頭を走っている。それが、中山が45歳になってもチームの戦力として求められ続けた理由だ。

■不器用どころか「実はかなり万能型のFWだった」。

 ゴールを量産できた理由については、それぞれが異口同音に「動きの質の高さ」を挙げた。

 特にいくつものゴールを積み重ねたジュビロの黄金期について、一般的には「優秀なチームメートに取らせてもらったゴールも多い」との解釈もなくはない。自らも「下手だ」と断言する中山の言葉を聞けばなおさらそう勘違いしてしまいがちだが、それについては名波が即座に「いや、そうじゃない」と否定した。

「ゴンちゃんは本当に気が利くFWだから、コンビを組む相手に合わせて違う動きをすることができる。だから、決して自分のゴールに直結する動きばかりしてるわけじゃない。なのに毎年15点以上も取るんだからすごいよ」

 藤田が続ける。

「何だかんだ言って、実はかなり万能型のFWだったんだよね」

 パスの流れを読んでDFの背後に消える。そこから急激にスピードアップして相手の急所に飛び込む。コンビを組む“相方”のほうがゴールの可能性が高ければ、それをさらに高めるための動きを選択する。そうした動きの質の高さは、40歳を過ぎて加入した札幌でも健在だった。河合も榊も、そこに中山のFWとしての資質を見た。

■「まずはゴンさんの技術の高さに驚きました」

 昨季、昇格1年目のルーキーにして2得点を記録した札幌の榊が言う。

「初めて一緒にプレーした時、まずはゴンさんの技術の高さに驚きました。ダイレクトではたくプレーは、ボールを落とす場所も質もすごい。それから、ボールを受ける時に一度DFを引き付けて中に入る動き。一度相手の視界から消えて、常にフリーの状態を作る。FWにとって、DFを剥がすプレーって大事ですよね。自分は足下で受けるのが苦手だったんですけど、そういうところを教えてもらいました。点を取れたのも、それがあったからだと思います」

 7人の話を聞いて特に印象的だったのが、中山のもう1つの実像である「キャプテンシーなきリーダーシップ」だった。

■「じゃあ、最後にゴン」って(笑)。

 藤田と名波、福西の3人の座談会で中山の「キャプテンシー」というテーマを投げると、こんな会話が繰り広げられた。

名波 いや、キャプテンと言っても自ら発言するキャプテンじゃないからね。もちろん王様タイプでもない。

藤田 というか、むしろキャプテンシーはそんなにないんじゃない?

福西 確かに。存在感と背中で語るタイプだからね。

名波 でも、人前に立った時の輝きは抜群なわけじゃん。

藤田 だからキャプテンっぽく見えるんだよ。あの頃のジュビロなら、どちらかと言うとハット(服部年宏)のほうがそれっぽいもん。

福西 確かに。中山さんは最後に締める感じだからね。

藤田 そう、完全に“締め”だね。ミーティングでもキャプテンが何か言った後に、「じゃあ、最後にゴン」って(笑)。

福西 それでなぜか、「さあ行こうぜ!」ってなる。だって、中山さんの普段の姿を見て何も感じない選手はいないでしょ。

名波 だから厳密には、キャプテンシーっていうのとはちょっと違うのかもしれないな。

■自分の可能性を突き詰める姿勢は、いつもチームで一番だった。

 中山は、常にチームにおけるリーダーとしての“立場”を考えて先頭を走っていたわけではない。極端に言えば、自分の持てる力をすべて出し尽くしただけのことだ。その結果がいつも“チームで1番”だったから、必然的に先頭に押し出された。人前に立つことを求められればその役割も果たしたが、それを目的として“1番”になっていたわけではない。

 中山が常に“1番”だったのは、自分の可能性を突き詰める姿勢だった。

 石崎は指揮官として、その姿勢が若いチームに大きな影響を及ぼしたことを感じている。

「ゴンちゃんが加入して2年目のグアムキャンプだったかな。ゴンちゃん、トライアスロンを始めたんだよね。プールでめいっぱい泳いで、汗だくで自転車を漕いで、最後に走ったのかな。グアムのランニングコースはとんでもなく大きいし、坂もたくさんある。あれはすごかったですよ。ホントにすごかった。ゴンちゃんのそういう姿を、若い選手も見てるからね。影響力という意味では、ものすごく大きかったと思う」

 河合に聞いた。自分の可能性を突き詰める中山に、もし、札幌というチームが与えたものがあったとすれば何か。

「与えたもの。そうですね。フレッシュさ……かもしれませんね。中山さんも僕も、若い選手の能力にはいつも驚いていたし、中山さんも彼らの才能に可能性を感じて、刺激を受けていたと思います。自分よりいくつも年下の選手に負けたくない。そういう気持ちが、中山さんの気持ちや力になっていた気がします」

■中山の「サッカーが大好きな気持ち」を伝えたい。

 河合には、1つ後悔していることがある。

 ホーム最終戦で初めて同じピッチに立った時、中山にキャプテンマークを渡したかった。ただ、当時は中山の引退すら想像もできなかったし、もしかしたらその時は、本人も引退を決めていなかったのではないかとも思う。

「まずは同じピッチに立ててうれしかったですよね、本当に。ボールを持って顔を上げると、思わず中山さんの姿を探しちゃうというか、少しの時間でしたけど、やっぱり動きの質は高いので。ピッチが似合う人だなと改めて思いました。また復活してくれないですかね、本当に」

 少し寂しそうな表情でそう語った河合だが、中山の引退によって新たにした気持ちもある。

「常に全力。ひとことの重みは中山さんに全く及ばないかもしれないけど、僕が見て感じたものを伝えていきたいと思いますね。ほど遠いし、やれるかわからないけど、やらなきゃいけないですよね。中山さんみたいにサッカーが大好きな気持ちを、それを自分が表現していく番かなと思います。僕がそれをやらないと、中山さんに失礼だと思いますから」

 7人に話を聞いて感じたのは、中山雅史という1人の選手が日本のサッカー界に伝えた気持ちの大きさと、それを受け止めた人たちが“これから”を形成するピッチ内にも、そしてもちろんピッチ外にもいるという心強さだった。やはり、サッカーの面白さは理屈を抜きにした“気持ち”にある。

「気持ちを見せろ!」

 そのひとことに、中山が込めた意味は計り知れない。

(「Jリーグ万歳!」細江克弥=文)

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